5月は若葉青葉が輝き気持ちの良い季節、というイメージがあります。学園の木々も緑が濃くなり、若さあふれる様子が見えます。葉っぱをよく見ると虫食いの跡、害虫駆除の季節が始まりました。スズメバチの姿が見えると聞いて校長教頭は敷地を見回り、山茶花の葉にチャドクガの卵がついていないかと見回ります。近年は蚊も大敵です。小さな水たまりを作らないように呼びかけます。
緑が多いと良い面もたくさんありますが、安全管理もまた大変です。桜の花が散り始めた頃から、季節の移ろいと共に花弁の掃除、葉っぱが生茂れば毛虫の駆除、紅葉を楽しんだ後は落ち葉の掃除が始まります。いい時も手間がかかる時も繰り返しながら季節も進んでいきます。
さて今回は「目標設定委員会」のお話です。中学部高等部専攻科の縦割りの活動として各クラスから委員が選ばれ毎週金曜日の昼休みに委員会が行われます。活動内容はその名の通り、月の目標を決めることです。毎週の初めには朝礼があり、そこで生活目標が確認されます。今年の4、5月の目標は「早く着替えよう」でした。昨年度の目標を上げると、「廊下は歩こう」「熱い時は帽子をかぶろう」「水を飲もう」「汗を書いたら着替えよう」「寒い時は上着を着よう」「掃除をしよう」などがありました。どれも具体的な行動目標になっていますし、自己評価もしやすいです。各クラスで出された目標の案は委員会で話し合われ多数決で決まります。生徒たちの意見をもとにして目標を作ることで彼らにとって身近で意識できる行動になるのではないかと40年以上前から続いている活動です。
まだ若手の頃、この委員会を担当した時に「目標設定委員会って、言いにくいですし、分かりにくいので、生徒会にした方がいいんじゃないですか。」と職員会議で提案したことがありました。ベテランの先生から「誰にとって分かりにくいですか。生徒は困っていますか。」と聞かれました。「目標設定委員会ノート」を印籠のように持ち自信満々で委員会に参加する委員の面々、クラスで目標達成した生徒の数をまとめ委員会で発表し、丸の数が多いことに喜ぶ姿、目標を決めポスターを作り、朝礼で発表する、どの姿も主体的でした。自分の知っている「生徒会」というイメージに寄せたかったのは私自身が分かろうとしていなかったからだと気付きました。言葉は言葉にしか過ぎませんが、具体的な内容が伴っていればこそ使う価値があります。一見難しそうな言葉もやることがわかっていれば十分伝わりますし、寧ろ伝えたい魅力のある言葉になると思います。
目標設定委員会でもう一つ大事なことは、選挙によって「委員長」「副委員長」「書記」を決めることです。昨年から選挙権が18歳以上になりました。本校では選挙についての具体的な行動は、目標設定委員会の主催する「目標設定委員会役員選挙」で学習します。選挙に立候補した生徒は毎朝、そして昼休みなどに選挙活動をし、朝礼で立会演説をし、どんなことを頑張りたいかを話します。後援者からは応援のメッセージがあります。投票用紙は生徒によって写真付きの物を用意します。投票会場には立会人がいて見守ります。昨年9月には練馬区選挙管理委員会による模擬選挙授業もしていただきました。選挙の意味を知るとても良い機会になりました。役員選挙では、立候補者にとっての学びにつながることもよくあります。立候補3回目で当選したN君は、それまでの落選で日頃の行いがとても大事だと気が付きました。教員からは言われていても、どんなことにつながるかわからなかったのだと思います。友達の意見を聞き譲ることや乱暴な言葉で話すと怖がられることが分かり、自分の行動に気づくようになりました。
三木先生は、「精神薄弱児教育の目標は、彼らを立派な精神薄弱者にすることだ」と繰り返し唱えました。視覚障害児教育と対応させ、「盲児教育の目標は、盲児を立派な盲人に育てることだといっても奇異には感じられないであろう。盲教育によって肉眼は見えるようにはならないが、心眼を開かせ、人間的にすぐれた盲人にすることはできるわけであるし、盲教育はそのためのものである。」「精神薄弱児教育では、立派な精神薄弱者の人間像を追及することが大切な仕事になる。」とし、「精神薄弱者の場合に、障害を克服するということは、『自分はこれこれの事ができる』という自覚ないしは自信を持たすことである。その上で、よい行いをする人になろうという方向付けをしていくことである。勉強ができる人を「頭の強い人」とすれば、人をだましたり汚職をしたりする人は「頭の悪い人」である。」(私の精神薄弱者論 1976 日本文化科学社)と記しています。世の中には、学歴も社会的地位も高い「頭が強くて頭の悪い人」が意外に多くいることを嘆き、精神薄弱者と言われる人は「頭が弱くて頭のいい人」が多いと言います。彼らはまじめで覚えたことはしっかり守りたい人たちだから、良い行いをすることが好きなのだと私も思います。
前出の本の「『道徳』の教育について」には、旭出学園の道徳教育として、目標設定委員会があることを示し、「『道徳』は、「よい行いをしなければならない」ということの指導であるならば、精神薄弱児教育にとって『道徳』は中心的な教育内容となる。『道徳』は倫理学的な内容のものではなく、実践的なものと受け取るべき」とあります。良い行いを教えつつ、そうじゃない時もある「残念!」と声をかけるという矛盾の日々ですが、できることはまず良いことをしてくれた時にはしっかり「ありがとう」を伝え、自分が間違った時には「ごめんなさい」をはっきり示せる姿だと思います。「ごめんなさい」がはっきり言えない世間を騒がす「頭が強くて頭の悪い人」には、子どもたちを見習ってしっかり反省してもらいたいと思います。
目に涼し 虫には御馳走 若葉かな
2017.5.28