2023.10.02

つねづね草 ~元校長のひとり言~

 9月も半ばを過ぎ、そろそろ秋らしくならないかなと願うこの頃です。今年の十五夜は9月29日(金曜日)だそうです。え、中秋の名月って、こんな月末でしたか?と思いましたが、今年はそうなったようで、調べてみました。本来十五夜とは、旧暦の毎月15日の夜を指します。新月から満月になる月の満ち欠けはほぼ15日周期で、旧暦では新月を1日として、15日が満月に当たります。そのため十五夜は毎月ありますが、なかでも旧暦8月15日の月を「中秋の名月」と呼んでお月見をするようになり、一般的にはこの中秋の名月のことを「十五夜」というようです。月の満ち欠けの周期は一定ではないため、十五夜は必ずしも満月になるとは限らず、15日とはずれるので、新暦の9月の満月の夜を十五夜としています。満月はいつもより月が大きく見えますし、空に浮かんだ大きな月に手を伸ばし、掴んでみたいと思う気持ちは、子どもの頃誰もが思ったことでしょう。

「名月をとってくれろと泣く子かな」小林一茶の俳句にも、「パパ、お月さまとって!」エリック・カールの絵本にもそんな情景が描かれています。

今年の十五夜は、月がまん丸く大きく見えると良いなと思います。

 さて今回は、「旭出学園保護者の会」についてのお話です。私が入職した頃の名称は「母の会」でした。建学の精神にあるように「両親の協力する学園」、物心両面で保護者の理解と支援で成り立っている学園です。当初は、職員の給料や学校の経費を保護者が割り勘でご支援いただいたと聞いています。国や都からの補助金がなかった時代です。特別支援教育も普及していなかった70年以上前の出来事ですが、バザーをしたり、催し物を企画実施して寄付金を集めたり、学校運営を保護者と共に行ってきた歴史があります。「父兄会」が「父母会」になり、「保護者会」に名称は変遷してきましたが、旭出の「母の会」は当初から学園を支援する大きなパワーでした。その時代背景を考えると、子育ては特に学校関係のことは、母親を中心に行われるということが一般的な考え方だったと思います。父親は猛烈社員で働いた時代でした。後に「おやじの会」も開催されるようになり、子どもたちとの余暇活動や将来を見据えた学習会をしていました。主な目的は懇親会だったかもしれませんが定期的に行われ、勤労感謝祭では「玉こんにゃく」の模擬店を開いてくれました。「母の会」は組織化され、学部毎に、おにぎり屋さん、おでん屋さん、カレー屋さん、おしるこ屋さんを毎年出店しました。福祉園の保護者の方々は各家庭からご寄付いただいた品物のバザーをずっと開催していただきました。その時々を担っていただいた保護者の方々のご意見を取り入れ改善されながら、現在の「旭出学園保護者の会」に継承されています。

 16日に旭出あおば会のキックボール大会があり、今回は専攻科有志の参加もあり、談話室で待たれていた保護者の方々と久しぶりに話をしました。あおば会について詳しく聞きたいとのことで、「中高専で行っていたクラブ活動のようなイメージで、」と話し始めると、「ずっとクラブは無かったので。」「高校生になったらやりたいと思っていたことができなくて。」とここ3年間コロナ禍でのできなかったいろいろなことに気づかされました。「旭出学園保護者の会」も縦割りの良さがあって、長い年月を共にすることで組織として継続できる力が培われてきたと思います。「面倒なことをしなくて楽でしたが、交流も無くなり共有できることも少なくなってしまった。」と聞きました。卒業後も保護者の方々にご支援いただいて、旭出あおば会の余暇活動も成り立っています。「卒業しても旭出に来る機会をできるだけ多くしてほしい」と話されていました。月に1回ほど、年に9回実施している余暇活動支援ですが、この先教職員だけでは到底実践は難しく、保護者の方々のボランティアも必要です。現時点では年3回の参加に限っていますが、学生ボランティアや地域ボランティアの参加もお願いしてご縁が結べればうれしいですし、保護者の方々の特技、書道やフラワーアレンジメント、ダンス、ヨガなどなど開催できる活動があればその分卒業生も数多く受け入れることができます。「旭出学園保護者の会」が基盤にあり、行事や学習会、保護者の会だよりなど担っていただいているからこそ、卒業後も保護者が繋がって学園の力になってくれるのだと改めて思いました。

思い知るあっという間の十五年共に泣いたり共に笑って