本来なら2020東京オリンピック、パラリンピックの年でしたし、旭出学園創立70周年の記念行事が様々に計画されていた年でもありました。「行事による教育」を大切な柱の一つとして教育計画を実践してきている本校にとっては、何か物寂しい学校生活に感じます。各部で運動会に代わる発表の場を計画しつつ、練習に取り組む様子も見聞きしますので楽しみにしたいと思いますが、「来年はできるといいな」と強く願ってしまいます。人の集う行事はほぼ中止になりますが、創立70周年記念誌は刊行する予定です。70年の歴史の中には、学校だけでなく大泉旭出学園、富士旭出学園の社会福祉法人の設立と発展も含まれますので、この記念誌には法人下の6つの事業所の成り立ちや現状なども含めた記念誌になる予定です。
記念誌の中に創立を振り返ることの一つとして、旭出グループのそれぞれの学校、事業所の発行する「だより」を載せてはどうかという企画があり、学校の発行する「旭出だより」を読み返しているところです。昭和27年1月20日発行の日付の第1号から始まっています。ガリ版刷りでした。まさに昭和です。小さな学校の始まりから共に歩んできた歴史が「旭出だより」にもあることが分かります。三木先生は、第1号で「皆様と一緒にこの たより を育ててまいりましょう」と締めくくっていました。活版印刷に代わったのは、昭和30年4月15日発行の第12号からです。この時から題字は、武者小路実篤先生の書字になります。今のように年2回の定期発行ではなく随時発行していたようです。巻頭言は三木先生が書かれた障害児教育や福祉関係を取り巻く現状と理想、そのなかでの旭出学園の使命と施設造りをめざす内容が多くありますが、原安三郎先生(元本学園理事長、昭和の経済界の重鎮)や野村胡堂先生(小説家 代表作:銭形平次捕り物控)などの言葉も記載されており、読み返しますと、言葉や文字使いの重みからも、旭出学園70年の歴史が確かにあると実感します。原先生が創立25周年記念号に、徳川邸のお庭の小さな学園から出発して、学校法人と二つの社会福祉法人に発展し、旭出学園の名称をもつ3つの学園の益々の発展を願った歌を記しています。
三学園の前途の伸長を祈りて
三園(えん)は 一つの根より生い立てり 幹(みき)枝延びよ 安く正しく
今この言葉に触れますと、叱咤激励されている思いがします。創立70周年のこの年に、また三園が協力して記念誌を発行することは、三木先生の“残されている夢”の実現への歩みを、教育と福祉の両輪で生涯支援を実践する旭出学園の使命を、「しっかり持って進みなさい」という想いを受け継ぐことになるのだと思います。
七十年 天高くして 夢半ば 2020.9.10