3年に一度、100キロ以上の大量の土粘土で、
5時間ぐらいかけて遊ぶ単元をするのですが、
今回は、新しく購入する粘土に加え、
3年前に使い、乾燥してカチカチになったまま保管していた粘土も、
砕いて水に浸し、柔らかくして使うことにしました。
中学部2・3年生が、今日、固くなった粘土を砕きました。
木槌でひたすらガンガンガンガン…
1時間叩き続けました。
ある意味破壊的な活動を、授業で「さあどうぞ」と行うのも珍しいことです。
みんなよくやっていました。
細かくなった粘土が美術室中に飛び散り、
細かくなりすぎた土は土ぼこりとなって床をすべて真っ白にしました。
その後、細かくなった粘土を大きな容器に入れ、
水を入れて浸しました。
乾燥した粘土が水を吸う、シュワシュワした音が聞こえました。
来週、どうなっているでしょうか。
その後の片付けは、非常に大変でした。
飛び散った粘土をほうきで集めて捨て、
真っ白の床を全員で雑巾掛けしました。
時間内にすべて終わらなかったので、放課後関口が仕上げしました。
片付けをしていたら、急に感慨深くなりました。
木槌で粘土を砕くことは、粘土で遊ぶための準備です。
この準備の大変さ。片付けの大変さ。
これこそ、彫刻の醍醐味ではなかったかと。
関口は多摩美術大学彫刻科の学生でした。
そこでは、石を彫る学生は、関ケ原にある採石場まで、石を買いに行きました。
トン単位の石を、フォークリフトで、頑丈なトラックに積んで帰るのです。
帰って来て下ろす時も大仕事です。
また、知り合いの木彫の学生は、卒業制作で高価な木を彫りたいために、
親戚を回ってお金を借り集めていました。
これらのエピソードは、「準備」です。まだ造形操作は始まっていません。
しかし、準備から彫刻は始まっているのです。
準備を通し、「自分はなぜこの素材を使うのか?」ということを考え、素材との対話が開始します。
片付けも大変です。
彫刻作りは大体周りを汚します。言い換えると周りに迷惑をかけます。
重いため、手伝ってもらうことも必要なので、
お願いしたり、謝ったり、また人を手伝ったり、といったことが絶えません。
しかしこれらを素通りしては、本物ではありません。
全部含めて、彫刻なのです。
学校で普段行う授業では、手軽に造形操作を体験させることを優先することが多いです。
しかし今日の授業では、彼らなりの、
準備、片づけを、がっつりと腹に食らうことができたかもしれないと思いました。
1年生はまだ難しいでしょう。
集団として成熟している2・3年生だからできるかもしれないと考え、実施しましたが、
外れていませんでした。
みんなよくやってくれました。
そう考えると、多摩美から旭出学園に就職した関口にとって、今日の粘土ガンガンは、
ささやかな集大成だったかもしれない…と思いました。
(関口光太郎)